はじめに
東京証券取引所が2026年6月12日から7月24日にかけて実施した2本のアンケートの結果が、8月12日に同時に公表されました。
1本は上場企業682社に「投資家への期待・要望」を聞いたもの、もう1本は国内外の機関投資家74名(43機関)に「取組みの進展が見られる企業」を聞いたものです。
「企業と投資家の対話」というテーマについて、異なる視点から同じタイミングに聞いている。
こういう資料はなかなかありません。
せっかくなので、企業の言い分と投資家の言い分を自然言語処理(NLP)を使ってつきあわせてみました。
何をしたか
使ったのは、企業アンケートのQ12「機関投資家に対する要望や期待」に載っている企業の生のコメント41文と、投資家アンケートの「日本企業に対して更なる改善を期待する点」に載っている投資家の生のコメント26文です。合わせて67文になります。
これをTF-IDFという手法でベクトルにしました。
そのうえで、3つのことをしています。
- 同じベクトルを特異値分解にかけて、言葉の重みが強く出る軸を取り出しました。図1がこれです。
- 文どうしの近さをコサイン類似度で測り、その近さをもとに67文を平面に並べてみました(多次元尺度法)。図2がこれです。
- 「中長期」が含まれている文の中でどのような言葉のつながりが使われているかを分析しました(共起ネットワーク)。図3がこれです。
以降、企業と投資家の言い分がどれくらい分かれるかを見ています。
言葉の強弱を比べる(図1)
67文を、特異値分解という手法を用い、言葉の使い方が似ている向きから順に取り出す計算にかけました。
いちばん強い軸に出てきたのは、投資、事業、資本、成長、評価、株主、対話、経営です。
先頭の「投資」には、いま書いた「投資家」由来のものが混ざっています。
企業側にも投資家側にも同じくらい出てくる言葉でした。
同じ「対話」という言葉を使っている、というところまでは本当です。
2番目に強い向きでは、企業側と投資家側が反対を向きます。
企業側に強く出たのは、面談、説明、対話、資料、回答。
投資家側に強く出たのは、資本、事業、コスト、戦略、中長期、成長、価値、向上。
今回の抜粋では、企業側に面談の進め方に関する語、投資家側に資本と成長の中身に関する語が多く出ました。
どちらが書いた文かは、モデルに教えていません。

いちばん強い向きでは同じほうを向き、2番目の向きでは反対を向く。
つまり、表では同じ言葉を使い、一枚めくると別のことを言っている、ということです。
文どうしの近さを測る
もう少し踏み込んで、文どうしの近さを示す「コサイン類似度」という指標を用いて見てみました。1に近いほど似ていて、0なら共通する語がありません。
企業41文のうち21文は、投資家側で最も近い文を選んでも類似度が0.20にさえ届きませんでした(図2で薄く示した点です)。

最も近かった一組でも0.490です。
企業側の「財務情報だけでなく、資本コストや資本効率の観点、ESGや人的資本といった非財務情報に関する評価軸についても、具体的な見方や重視されているポイントを共有してほしい」と、投資家側の「中長期的なビジョンやESGへの取組み、人的資本・知財などの非財務資本が企業価値向上に結びつくことを十分にアピールできていない企業は市場評価が低い傾向にある」という2文でした。
財務、情報、ESG、資本、人的という語を共有しているので数値は上がります。
ただし企業は「投資家の評価軸を教えてほしい」と言い、投資家は「企業が説明できていない」と言っている。
最も近い一組でさえ、似たようなことを言いながら、肝心なところですれ違っているのです。
言葉のつながりを見る
「中長期」または「長期的」という語を含む文を取り出して、その文の中に一緒に出てくる語を数え、言葉同士のつながりを分析しました。企業側は10文、投資家側は6文あります。

企業側で半分以上の文(10文中5文以上)に出てきたのは、事業、期待、短期、価値、戦略、業績、特性、評価、議論です。
「足元の四半期の業績変動ばかりにとらわれすぎず、中長期的な成長戦略や事業戦略など、5~10年先を見据えた企業価値向上のストーリーをベースとして、建設的な議論を期待している」「自社の事業は研究開発や設備投資の成果が顕在化するまで一定の時間を要するため、自社の事業特性を踏まえたうえで、短期的な業績によらず、長期的な視点で評価いただきたい」という文脈です。
投資家側で半分以上の文(6文中3文以上)に出てきたのは、価値、向上、資本、コスト、開示です。
「多くの企業が目標とするPBR1倍やROE8%はあくまでスタートラインであり、資本コストを上回るエクイティスプレッドの維持拡大を目指した目標の引き上げを期待」という文脈です。
今回の抜粋では、企業側の「中長期」は議題の時間軸と結びついていました。長く取ってほしい、という使い方です。
投資家側の「中長期」は、目標の水準と結びついていました。もっと高く取れ、という使い方です。
同じ語なので、面談の場では双方とも噛み合っていると感じてしまいがちですが、立場が異なれば同じ言葉でも解釈がズレてしまいます。
会計士として感じたこと
黒澤明の『羅生門』では、同じひとつの事件を、四人が四通りに語ります。
四人の語りは食い違い、それぞれの都合や自分の見せ方が入り込みます。
杣売りでさえ、短剣を持ち去ったことを黙っています。
今回の67文を並べていて、同じことが起きていると思いました。
- 最初こそ同じ「対話」という言葉が出てくるものの、もう一枚めくると中身は違っています。いちばん強い向きには両側とも同じ言葉が並びますが、2番目の向きで企業は面談、投資家は資本に割れます。
- 近くに見える組でさえ、中身は違います。ESGや人的資本という言葉を共有するものの、企業は「評価軸を教えてほしい」と言い、投資家は「説明できていない」と言っています。
- 「中長期」を含む文に一緒に出てくる言葉を数えると、企業は短期、業績、議論、投資家は資本、コスト、開示でした。
『羅生門』では、事件の真相は最後まで分かりません。
それでも映画は、雨のあがった門の下で、杣売りが捨てられた赤ん坊を引き取る場面で終わります。食い違いが解けなくても、その先の行いは選べる、という終わり方です。
四通りの語りがひとつになる必要はありません。
どこがどう違うのかを互いに分かったうえで話せるようになれば、対話は前に進みます。
例えば、「面談の準備をするとき、相手が何を議題だと思っているかを先にもっと確かめる」、そのような当たり前の努力を通じ、今回可視化された両者の距離は徐々に縮小していくものと考えます。
今回のアンケート結果が多くの方に気づきをあたえ、ひいては企業価値を押し上げ、日本の経済を強くしていくことを願っています。
本記事は、note に掲載した内容を再構成したものです。オリジナルはこちら(note)。

